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Memorandum#2

いま愛用している小川哲さんのデザインされた和綴じノート。ノドにキリトリ線が入っていて、ユニークな使い方ができる。方眼ではなくドットである点も使い勝手がいい。

こんな素敵なノートを見つけたのは、西荻窪FALL4月に開催されていたポップアップショップ「耳と目のためのフラジャイル」。(会期中にご紹介しようと思ったのにすっかり夏になってしまった、、、!)主催されていたのは、小川さんと音楽家の津田貴司さん。

津田さんは以前、わたしの自主企画「てとおと」にご出演いただいたこともありました。どうしても表面上は穏やかな音楽なので、一般的には「癒し」とか誤謬に満ちた「サウンドスケープ」という言葉でカテゴライズされてしまうこともある津田さん。だけど、その奥に潜む厳しさを聴きとることが何より重要なのだと思う。

79日、吉祥寺のLiltという小さなバーで津田さんのユニット「星形の庭」単独コンサートがあった。
http://d.hatena.ne.jp/hofli/20170531
(こちらも公演前にご紹介しようと思ったのに、、、、!!)

おしゃれな古着を着た女の子から音楽マニア風なおじさままで。大盛況の会場の中の多様性が津田さんの音楽の射程の距離を物語っていたように思う。

静かの基地は録音を終えて鋭意ミックス作業中。
レコーディングのお話は、また今度。

Diary_Jul 11, 2017

明日は静かの基地のレコーディング。昨日はそれに向けて最後のリハーサル。

Memorandum

先日、友人の結婚式に参列した。Aくん、Kさん、心よりお祝い申し上げます!

これは式とは直接関わりのない会場の進行役の方のことなのだが、ファーストバイトの解説はそろそろ御役御免なのではないか。新郎から新婦へ「一生食べるものに困らせない」。新婦から新郎へは「一生美味しいごはんを食べさせる」。

これがロマンチックだとでも言うのか。

目くじら立てるほどのことでもないが、瑣末なこととも思えない。旧弊なままだよなあ、という違和感。

くままでのおさらい

少し日が経ってしまいましたが、先日観た舞台のこと。

舞台「くままでのおさらい」は、井上奈奈さんの絵本を原作として舞台化したもの。絵本を読んだことのある方はきっと、どんな風に舞台になるのだろうと気になったはず!

そして舞台の解釈は、とてもハピネスで崇高なものでした。
(物語の最後、うさぎと人間という生命の異なる時間軸が架空の水準で合うのですが、ここが本当に秀逸。)

これは「私」と「他者」との境界線のお話。
そして、どんなに愛していても私はあなたにはなれないのだ、というお話。
くまは恋人を「ぱくぱくごっくん」しても、やはりくまのままだったのです。

async

昨晩はワタリウムにて、坂本龍一設置音楽展asyncへ。

5.1chサラウンドで音源が再生されている2Fのフロア“drowning”では、CDでは聞こえなかった音のレイヤーに気づく。
(文字通り、音に溺れるような体験。)

Zakkubalanのインスタレーション“volume”の映像は、製作時に多くの時間を過ごした空間を抽象的に捉えたものとのこと。
今作は「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」という理由でサンプル盤の配布もなかったようだが、設置音楽展も坂本龍一のパーソナルな側面にフォーカスされていた。

ところで、展示に昨晩を選んだお目当てはこちら。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/event/async_0513.pdf

トークで聞けたこと:坂本龍一曰く、笙は楽器の個体差というより演奏者によって音色が異なる、とのこと。
確かに、石川さんの笙は、石川さんだけの音。
(“Life, Life”の音源にさらに笙が重なっていく様子は感動的だった。。)

設置音楽展は5/28まで。
ぜひ、ゆっくり溺れてみてください。

at dawn

SARAVAH東京のイベントでご一緒したHeatMiserという女の子のCDを聴いている。

HeatMiserとは礒尾奈加子さんのソロプロジェクトの名前。彼女のウェブサイトには、本作のリリースに寄せてご本人のテクストが公開されている。そしてその最後には参考資料としてレコーディング期間の糧となったアルバムが並んでいる。

論文でも参考文献が必ず示されるように、音楽もひとつのテクスト=織物なのだ。織物が糸の編み合わせによって作られるように、音楽も歴史の編み合わせでできている。彼女の音楽の豊かさも、その糸ひとつひとつに根拠がある。

音楽は魔法のようだけれど、作られるプロセスは魔術などではないのだ。

彼女の音楽を聴くことは、現在の音楽を聴くことでもあり、過去や歴史とつながることでもある。そして、過去とつながることは未来へ続こうとする意思だ。つまり未来が信じられなければ歴史もむなしいが、at dawnを聴き終えた頃、また私たちは先へ歩みを進める意思をひそかに取り戻すのだ。

http://www.flakerecords.com/rcminfo.php?CODE=25430

Thanks for coming @Saravah Tokyo 20170428

昨晩はSARAVAH東京にてピアノソロ。ご来場いただきありがとうございました。

A canary in a coal mine

マーシャル・マクルーハンを読み返し、学生の頃に鉛筆で線を引いた箇所とは異なる点に興味が向く。

彼は芸術家を新しいテクノロジーによる変容を事前に察知するアンテナに見立てた。カート・ヴォネガットの「坑道のカナリア」とも通い合う。“super sensitive”で、弱くあり続けること。

ニュースをつける度に強くあろうとすることの弱さを見ることになる。今のこの国や世界の状況を反面教師に見立てると、弱くあり続けることの強さも見えてくるように思う。

今年も桜が咲きました。
毎年同じ花をつけているようで違う花。
年月は新たなれども人は古りゆく。

倹しく

長い間、ぼんやり考えていたことを少し。

いま、清貧を金科玉条とする人がどれだけいるだろう。と、書店の平積みや広告を横目に時折思う。これだけ富が一部に集まると、その一員に加わりたいと思うのか。「人より先に職を求めんとし、人より先に富をつくろうとする」(永井荷風・濹東綺譚)ことに躍起になっている。老子の教えは、世の人の先に立たず倹しく生きること。

尾を泥中に曳く(荘子)宮仕えよりも、静かに生きること。人知れず泥の中に尾を曳く亀のように。沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん(孔子)。しかし政治に対し積極的参与を勧めないからといって、皆が出家したり田舎で農業に従事するべきだというのも、それで皆が(社会が)うまくいく訳ではないので、何事も付かず離れずで丁度良いのかもしれない。

お金があれば欲しいものが買える。欲しい物の多い人は、買えども買えども新しい欲しい物に苛まれているようにみえる。本当の自由とは買わなくても済むことだ。人は買った途端に幻滅するから次々とアップデートしてゆくのがマーケティングの基本らしい。次々と新しい物で消費者を捕らえて離さないのは監獄のようなものだが、無意味に新しい物を量産しなければならない宿命は音楽家も同じことだ。

私は健康でいられればそれでいいかな(しかし健康であるためにはそれなりのお金が必要だ!)。肥えた豚にはなりたくないが、飢えたソクラテスにならなくてもよい。

今年は、堀坂有紀とのユニット「静かの基地」のための作曲がメイン。アルバム制作が進行中で、田村凌一さんの新作映画も「静かの基地」で担当した。

作品をつくる度に、過去の自分と比較しては変わらないことをやっているのだと感じる。そうやって同じ円をぐるぐると回っているが、円そのものを書き換え、アップデートしてゆく。先ほど書いた次々と新しい物をつくるのも、同じことなのかもしれないと書いていて思う。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

季節のめぐりも、円運動のようだ。

〽︎冬過ぎて春し来れば年月は新たなれども人は古りゆく

寒さをぶり返しながら、少しずつ春の気配ですね。インフルエンザがまわりでもはやっています。みなさまご自愛ください。春まで、あと少し。

12月の作曲

Gathered Petalsをリリースして、もうすぐ2年。その頃に考えていたことは、今とはすこし異なるので、Gathered Petals#2と題してピアノソロ第二弾を作曲していました。結果的には、アップデートを試みるつもりが、同じことをしていることに気づいてすべて破棄。そんな師走の作曲だったけれど、Petals#2の予告だけは書いてしまおうと思います。ピアノソロはひとつのライフワークのようなものなのです。

Arve Henriksenというトランペッターのアルバムを聴きながら、身体から離れずに作曲する方法について考える。作曲してしまうと、身体からすこし距離ができてしまうように感じるのです。身体に委ねて演奏するための方法として、モートン・フェルドマンのアバウトな楽譜や高橋悠治さんの断片を選んで弾くものもの、ケージのタイムブラケットなどを見返してみる。弾いてみる。Petalsも、「身体」をひとつのキーワードとして考えてみる。

石川高さんに笙の演奏法や朗詠について、ご説明をいただける機会に恵まれました。石川さんは笙の演奏家ながら、古典だけでなく外の世界にも精通されていらっしゃるので、メシアンの「我が音楽語法」の話で盛り上がったり。伝統音楽を楽理的に分析しようとしてしまう私に、石川さんから至宝の一言。伝統音楽は、その音楽が演奏されていた時代のことを学ぶことが理解につながりますよ、と。そういえば、その頃の暮らしや価値観に思いを馳せて、源氏物語や枕草子を読んだこと、なかった。博学な石川さんからは、七夕のことも教わりました。なぜ、「七夕」で「たなばた」と読むのか。乞巧奠や棚機女の話。それから、石川さんがシュトックハウゼンの「歴年」という邦楽器のための曲を演奏したときの話。

BGMを担当したアプリが人気なようで、うれしい限りです。
メインテーマを公開しました。

 

写真は、その作業中のひとこま。

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