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『静かの海』のこと

田村凌一さんの監督作品、『静かの海』がYoutubeで全編公開されている。

音楽は私と関向弥生さんのシーンごとの分担。
私も台本の読み合わせから立会い、熟考を重ねた音楽だった。

教室で女の子が教科書を読み上げるシーン。
表面上は穏やかな学校の生活だが、そこで読み上げられているのは宮沢賢治の無声慟哭。

この映画を前にして、小手先の技術から作られる音楽には何の力もないことに気づいた。

よくできただけの音楽を離れて ひと月の間、静かの海と向き合って
やっと書けたテーマは ドとレの 短2度。 それだけだった。

7月のレコーディング

 7月、静かの基地としてはじめてのアルバムのレコーディングをecho and cloud studioにて行いました。このアルバムには石川高さんに笙と竽の演奏、朗詠と全面的にご協力いただき、豊かな音像に仕上がっています。(笙や竽という楽器のこと、朗詠のご紹介はまた今度)

 一部を除き、ほぼ全ての曲が田中・堀坂・石川の三者による一発録りです。緊張感の伴うレコーディングでしたが、エンジニアの松井敬治さん(the primrose)が綺麗に録ってくださいました。

 アルバムのことを今日から少しずつ発信していけたらと思います。まずは、スタジオのこと。

 せっかくレコーディングするならば、無菌室のようなスタジオよりも、代替できない場で録りたいと思っていました。echo and cloud studioは閑静な住宅地の一角にあり、陽の光が差し込む、ゆっくり深呼吸したくなるような場所。確かに爆音での演奏はできないし、外をバイクが通りかかればやり直し、なんていうことも。けれど代わりに今作では小鳥たちのさえずりがこっそり収録されています。

 この録音に対する姿勢は昔から大事にしてきたこと。その根拠となるのは、サウンドスケープという思想。サウンドスケープとはフィールドレコーディングに始終するものではなく、音の意味を見つめる姿勢そのもののことなのです。

 ところで、松井さんはエンジニアではなく本業はアーティストの方。

 

 What A Wonderful Worldの歌詞がなんだかスタジオでのひと時に通じるように感じるのです。

Memorandum#2

いま愛用している小川哲さんのデザインされた和綴じノート。ノドにキリトリ線が入っていて、ユニークな使い方ができる。方眼ではなくドットである点も使い勝手がいい。

こんな素敵なノートを見つけたのは、西荻窪FALL4月に開催されていたポップアップショップ「耳と目のためのフラジャイル」。(会期中にご紹介しようと思ったのにすっかり夏になってしまった、、、!)主催されていたのは、小川さんと音楽家の津田貴司さん。

津田さんは以前、わたしの自主企画「てとおと」にご出演いただいたこともありました。どうしても表面上は穏やかな音楽なので、一般的には「癒し」とか誤謬に満ちた「サウンドスケープ」という言葉でカテゴライズされてしまうこともある津田さん。だけど、その奥に潜む厳しさを聴きとることが何より重要なのだと思う。

79日、吉祥寺のLiltという小さなバーで津田さんのユニット「星形の庭」単独コンサートがあった。
http://d.hatena.ne.jp/hofli/20170531
(こちらも公演前にご紹介しようと思ったのに、、、、!!)

おしゃれな古着を着た女の子から音楽マニア風なおじさままで。大盛況の会場の中の多様性が津田さんの音楽の射程の距離を物語っていたように思う。

静かの基地は録音を終えて鋭意ミックス作業中。
レコーディングのお話は、また今度。

Diary_Jul 11, 2017

明日は静かの基地のレコーディング。昨日はそれに向けて最後のリハーサル。

Memorandum

先日、友人の結婚式に参列した。Aくん、Kさん、心よりお祝い申し上げます!

これは式とは直接関わりのない会場の進行役の方のことなのだが、ファーストバイトの解説はそろそろ御役御免なのではないか。新郎から新婦へ「一生食べるものに困らせない」。新婦から新郎へは「一生美味しいごはんを食べさせる」。

これがロマンチックだとでも言うのか。

目くじら立てるほどのことでもないが、瑣末なこととも思えない。旧弊なままだよなあ、という違和感。

くままでのおさらい

少し日が経ってしまいましたが、先日観た舞台のこと。

舞台「くままでのおさらい」は、井上奈奈さんの絵本を原作として舞台化したもの。絵本を読んだことのある方はきっと、どんな風に舞台になるのだろうと気になったはず!

そして舞台の解釈は、とてもハピネスで崇高なものでした。
(物語の最後、うさぎと人間という生命の異なる時間軸が架空の水準で合うのですが、ここが本当に秀逸。)

これは「私」と「他者」との境界線のお話。
そして、どんなに愛していても私はあなたにはなれないのだ、というお話。
くまは恋人を「ぱくぱくごっくん」しても、やはりくまのままだったのです。

async

昨晩はワタリウムにて、坂本龍一設置音楽展asyncへ。

5.1chサラウンドで音源が再生されている2Fのフロア“drowning”では、CDでは聞こえなかった音のレイヤーに気づく。
(文字通り、音に溺れるような体験。)

Zakkubalanのインスタレーション“volume”の映像は、製作時に多くの時間を過ごした空間を抽象的に捉えたものとのこと。
今作は「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」という理由でサンプル盤の配布もなかったようだが、設置音楽展も坂本龍一のパーソナルな側面にフォーカスされていた。

ところで、展示に昨晩を選んだお目当てはこちら。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/event/async_0513.pdf

トークで聞けたこと:坂本龍一曰く、笙は楽器の個体差というより演奏者によって音色が異なる、とのこと。
確かに、石川さんの笙は、石川さんだけの音。
(“Life, Life”の音源にさらに笙が重なっていく様子は感動的だった。。)

設置音楽展は5/28まで。
ぜひ、ゆっくり溺れてみてください。

at dawn

SARAVAH東京のイベントでご一緒したHeatMiserという女の子のCDを聴いている。

HeatMiserとは礒尾奈加子さんのソロプロジェクトの名前。彼女のウェブサイトには、本作のリリースに寄せてご本人のテクストが公開されている。そしてその最後には参考資料としてレコーディング期間の糧となったアルバムが並んでいる。

論文でも参考文献が必ず示されるように、音楽もひとつのテクスト=織物なのだ。織物が糸の編み合わせによって作られるように、音楽も歴史の編み合わせでできている。彼女の音楽の豊かさも、その糸ひとつひとつに根拠がある。

音楽は魔法のようだけれど、作られるプロセスは魔術などではないのだ。

彼女の音楽を聴くことは、現在の音楽を聴くことでもあり、過去や歴史とつながることでもある。そして、過去とつながることは未来へ続こうとする意思だ。つまり未来が信じられなければ歴史もむなしいが、at dawnを聴き終えた頃、また私たちは先へ歩みを進める意思をひそかに取り戻すのだ。

http://www.flakerecords.com/rcminfo.php?CODE=25430

Thanks for coming @Saravah Tokyo 20170428

昨晩はSARAVAH東京にてピアノソロ。ご来場いただきありがとうございました。

A canary in a coal mine

マーシャル・マクルーハンを読み返し、学生の頃に鉛筆で線を引いた箇所とは異なる点に興味が向く。

彼は芸術家を新しいテクノロジーによる変容を事前に察知するアンテナに見立てた。カート・ヴォネガットの「坑道のカナリア」とも通い合う。“super sensitive”で、弱くあり続けること。

ニュースをつける度に強くあろうとすることの弱さを見ることになる。今のこの国や世界の状況を反面教師に見立てると、弱くあり続けることの強さも見えてくるように思う。

今年も桜が咲きました。
毎年同じ花をつけているようで違う花。
年月は新たなれども人は古りゆく。

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