ふと、文章を書いてみたくなった。
6年くらい前までは、毎日のようにSNSやブログを更新していた。

それがすっかり、ほとんど何も書かなくなった。
ある時から、言葉にすることをためらうようになった。

書こうとしても、書いては消すの繰り返しだった。
ひとつひとつの単語や言葉の並びを強迫的に確認した。

それは作曲でも同じだった。
心がすり減って、何も手につかなくなった時もあった。

それが少しずつ、自由に言葉にすることができるようになってきた。
音符もだんだん自由に書き連ねることができるようになってきた。

すっかり目を通さなくなったSNSも時折開いてみる。
以前にも増して言葉を発することが苦しくなる空間だと思った。
近くのことばかり考えて、遠くのことを考える人が少なくみえる。
きっと設定すれば取捨選択ができるだろうけど、自分の好き好んだ言葉や物だけでなく、有象無象のすべてが詰め込まれた空間が、やっぱり異様なものに思える。

それでも、丁寧に言葉を選んで、無駄なものはできるだけ少なくして、
そうやって何かを書いてみるのもいいのではないかと思った。

それでさっき、twitterに短い文章をふたつ投稿してみた。

“きっと、作家にだって出版するための文章と、誰にも見せない自分だけの(あるいは特定の誰かに向けた)文章があるはずだ。例えば日記帳や恋文のように。そうやって内発的に動機付けられた作曲、というものをそういえば書いたことがない。音楽に独り言はあるのだろうか。”

“公開することが、聴いてもらうことが、恥ずかしいという作品もある。それが作品の完成度に納得していないからなのか、それとも大切なものほどに人前に出したくない気持ちなのか、たまにわからないこともある。”

物事を考えれば考えるほど、人前で演奏する意義を失い、誰かが書いたものとそうたいして変わらない音楽を書くことが無駄なことに思える。

それを私は、いったん判断停止(エポケー)にすることにした。

ひとりで部屋で五線紙を書いても音楽は成立しない。
部屋でひとり演奏することも、練習のようなもので音楽とはすこし違う。

だからといって、声高らかには歌わないようにしようと思う。
慎ましやかに、微かに、掠れるように。