長い間、ぼんやり考えていたことを少し。

いま、清貧を金科玉条とする人がどれだけいるだろう。と、書店の平積みや広告を横目に時折思う。これだけ富が一部に集まると、その一員に加わりたいと思うのか。「人より先に職を求めんとし、人より先に富をつくろうとする」(永井荷風・濹東綺譚)ことに躍起になっている。老子の教えは、世の人の先に立たず倹しく生きること。

尾を泥中に曳く(荘子)宮仕えよりも、静かに生きること。人知れず泥の中に尾を曳く亀のように。沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん(孔子)。しかし政治に対し積極的参与を勧めないからといって、皆が出家したり田舎で農業に従事するべきだというのも、それで皆が(社会が)うまくいく訳ではないので、何事も付かず離れずで丁度良いのかもしれない。

お金があれば欲しいものが買える。欲しい物の多い人は、買えども買えども新しい欲しい物に苛まれているようにみえる。本当の自由とは買わなくても済むことだ。人は買った途端に幻滅するから次々とアップデートしてゆくのがマーケティングの基本らしい。次々と新しい物で消費者を捕らえて離さないのは監獄のようなものだが、無意味に新しい物を量産しなければならない宿命は音楽家も同じことだ。

私は健康でいられればそれでいいかな(しかし健康であるためにはそれなりのお金が必要だ!)。肥えた豚にはなりたくないが、飢えたソクラテスにならなくてもよい。

今年は、堀坂有紀とのユニット「静かの基地」のための作曲がメイン。アルバム制作が進行中で、田村凌一さんの新作映画も「静かの基地」で担当した。

作品をつくる度に、過去の自分と比較しては変わらないことをやっているのだと感じる。そうやって同じ円をぐるぐると回っているが、円そのものを書き換え、アップデートしてゆく。先ほど書いた次々と新しい物をつくるのも、同じことなのかもしれないと書いていて思う。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

季節のめぐりも、円運動のようだ。

〽︎冬過ぎて春し来れば年月は新たなれども人は古りゆく

寒さをぶり返しながら、少しずつ春の気配ですね。インフルエンザがまわりでもはやっています。みなさまご自愛ください。春まで、あと少し。